Days by 阿部晋也

Self Production Note ────────

音を聴いた時、人は何かを創造しているのかもしれない。そう思って作り始めたが、とかく音楽は曖昧なものである。「悲しみを表現した曲」と言えば、そう聴こえる。「昔の曲」と言えば、古く聴こえてくるし、「新しい曲」と言えば、そのように聴こうとしたりする。そんな曖昧さの上に、作り手なりのメッセージやアプローチが乗せられているのが「よくある型」である。僕は曲名や歌詞やコード進行等に単純に表れるそんな「よくある型」を好まない。まだ開いていない小説のタイトルに物語の結末が書いてあるような気がするから。もっと曖昧なままの "カタチ" で作品を提示してもいいのではないだろうか。むしろ詩の世界は曖昧さ、矛盾、隠喩で溢れている。わかりきった筋書きの音楽をつくりたいとは思わない。

今回の Nash Artists's Labo の取り組みでは、既成の概念を全て取っ払ってみたかった。結果として、誰かに気に入ってもらえるように配慮した楽曲は一つも含まれていない。ガイドもナビゲートもない。この作品の音空間を覗くことは、ひょっとすると、子どもの頃、幼児の頃、乳児の頃、知らない曲を、未知の音を耳にする感覚にもつながっているのではないだろうか、と想像している。何も知らず、無垢なままで、そこに鳴っている音を、ただただ聴取している状態。そこで何を見て何を感じ取るのだろうか。僕はそれを知りたいと思う。

同じ作品でも聴く者によって少なからず作品の形は変わる。音楽作品は聴くという行為で初めて完成する、と言えるかもしれない。そんなことを考えながら、個人の主張は消して、メロディを追いかけるのはやめにして、やがて和声も調律も捨てた。この作品に触れて、もしあなたが何かを感じるとしたら、あなたの一部が映し出されている、ということかもしれない。あなたと僕の間で、唯一の作品が生まれているのかもしれない。

あるがままに聴いてほしい。何も持たず、一人で初めて訪れた世界や異国を探索するように。

阿部晋也 (作曲家)

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絵を描くように音楽を作る。

比喩ではない。

こころがこの世界とどう関わるのかが虚空のキャンバスに光と色となって現れるように、音を塗っていく。一定の音楽形式要素はもはやそこにはなく、自由という重荷を背負った音が時間軸にちりばめられて作品となる。このうんざりするほどエネルギーのいる仕事は、創ろうとしているヴィジョンの強靭さがすべてだと言える。

さて、阿部 晋也である。

この喧騒に満ちた現代情報洪水社会の中を、独特の寡黙な情熱で生き抜こうとしているかのような若い阿部が選んだのは、「自由に」音を作るという強烈な「制約」を持つ、この厄介な音作りだ。

出来上がった「音そのもの」と対峙すること以外、作品と向き合うことはできない。

「Days」;正直言って難解だと言える。それは阿部が描き出そうとしたものであったのか?

再三の問いに、彼は静かにうなずいていた。

それは彼の、生きている<日常>である。

梨木良成 (「Days」プロデューサー/音楽制作顧問)

 

 

本作品は音楽ストリーミングサービスで聴くことができます ────────