Production Note

by

Hiroyuki Jutori

芝居や映像、または環境にリアリティを持たせるため音楽は使われてきた。私の演奏もこれらに一役担っている自覚は大いにある。だがもしもだ、仮に音楽だけで芝居ができたら?視覚や言語に頼ることなくただ一本のオーボエで完結する音楽シネマがあるとすれば?想像してみるとあらゆるビジョンが浮かんでくるではないか。

そしてこの想像は間違いなくオーボエ奏者である私の未来を変えていったのである。

このアーティストラボの企画の話を頂いたとき、一刻も早くオーボエを演奏したい一心で具体的なビジョンもまとめることなくスタジオに早足で向かったのを覚えている。おかげで制作側に「何がしたい?何ができる?」と言われ「沢山ありすぎて…」と答えるしかない私。だがマイクの前で演奏していくうちに想像はテクニックを生み、テクニックはやがて斜のかかったビジョンをはっきりとコントラストさせていく。

本作で終始現れる死にゆくものの生への執着。そしてそれらを司る不可思議な存在。この世のようであの世でもない未知の世界をオーボエの演奏で想像し、楽しんでいただきたい。

 

Listen to "Oblivion"

 

Track 1  纏
美しさと妖艶さを伴う羽衣は、甘美な匂いを放ち、纏う者の心(魂)を空の彼方へと誘う。美しさへの陶酔はやがて警戒心に変わり、鋭さと危うさを維持したまま「纏う者」は完全2度のモチーフを残し絶命する。

Track 2  螺旋
絶命した魂が荘厳なドローンに抗うことのできない様子。魂の持つ記憶は次々と破壊され新たな生命の準備が淡々と行われていく様子。

Track 3  濾過
きわめて短い音が不規則に演奏され、滴下と打音が交錯していく。魂の濾過が行われ無垢な存在となっていく魂。この曲で奏者は魂を液体状のものと想像している。

Track 4  融解
自身のあるべき「形」を求めてさまよう魂は成仏を拒絶するかのように仏の導きから逃げまどう。そして手に入れた「形」は自身が望むものであったのかどうか。歪んだ音色や複雑なハーモニクスなどオーボエの音色になるギリギリのところを維持するテクニカルな曲。

Track 5  擬態
鏡に映る自身の姿は本当の姿なのか。自分は本当に現実に存在しているのか。もしかしたら鏡の向こう側が本当の世界ではないのか。わずかな心の隙間に「形」を求めさまよう魂は他の何者かになりかわり擬態していく。

Track 6  Oblivion
幼いころ見た景色、歌った歌はどんなであったか。思い出そうとしても記憶は歪み断片的なモチーフが複雑に絡まり、何が本当の記憶かもわからなくなっていく。オーボエの先端部分(リード)のみで演奏されるこの曲は、不完全ならでの美しさをより追求した自己実現の世界であるといえる。

Track 7  Gravitation
「形」を維持できなくなった魂は、無の引力に引きずり込まれていく。抗いつつも魂は無に帰る。

Track  8  Cape
死にゆく魂と記憶は「纏」の羽衣により記憶される。果たして魂が最後に思い出した歌は自分が歌い聞いたものだったのか。それとも「纏」が持つ他の者の「記憶」だったのか。

Track 9  白鯨
オーボエのみで構成される楽曲。様々な効果により得られる浮遊感は、他を意に介さぬ大きな意志を持つ白鯨を感じさせる。

Track 10  風神の風邪
アンブシュアが維持できなくなるくらいブレスに圧力をかけてみた結果がこれである。風の神様が風邪をひき、熱にうなされながら鼻をかみ、咳をする。神様とはいえ体調管理は大事である。

Track 11  Guardian
「Oblivion」と同じくオーボエの先端部分(リード)のみで演奏されるこの曲は、動物や植物を超えた生命体を表現しているように聞こえる。それはこの世の破壊者なのか。それとも守護者なのかわからないが、彼らは言葉ではなく音で意思の疎通を行い、今もこの世を創造し続けているのかもしれない。

 

確かに容赦なく歪むオーボエの音色は本来の美しさとは程遠い。しかし録音を終えた今、これは決して恨みや怨念、または後悔を表現しているのではないことに気づく。本作におけるオーボエは人間本来の「生」への執着心と想像力が生み出す未来の人間の姿なのである。どうか未来が美しくありますように願いを込めて。

十鳥 博幸 (オーボエ奏者/音楽家)