ライブラリー人間、あるいはライブラリーミュージックの申し子
近藤 学

 

「中途半端な私」

音楽家としての自分を一言で表すのであれば、私は「ライブラリー人間」である。振り返ってみると、Nash Music Library で「ライブラリーミュージック」の音楽制作を始めるずっと前から、そうだった。

やはり、元々、様々な音楽ジャンルに惹かれるしかなかった。音楽家を志していた学生の頃は「中途半端はよくない、得意なジャンルだけに絞るべきだ」などと度々忠告されたが、そうしようとしても、結局一つには決められなかった。ただただ自分の好きなことがしたかった、ということだと思う。純粋に、色んな音楽を自分でつくってみたいのだ。本格的に作曲を始めてからも、未知の音楽、興味を惹く音楽が聴こえてくると、衝動に駆られ、楽曲を分析してつくってみる、再現してみる、という行為を繰り返していた。それが自分自身の作編曲を行う上での血肉=ベースとなり、プロを目指す上での自己研鑽となり、やがて自分の腕にも自信をつけていった、という成り行きと言えるかもしれない。

一方、自分は 「中途半端」であり、つまり強みがない、そのため音楽業界の需要がないのかもしれない、という思いも抱えながら、東京のレコード会社や制作会社に応募を繰り返した。実際、応募用に作成したデモに収録されている楽曲の組み合わせは見事に「バラバラ」だったはずだ。デモを再生した担当者は大抵「彼は一体何がしたいの?」と訝しがったのではないだろうか。しかしそれが自分という作家なのであり、自分自身であり、仕方がなかった。

そのようにして商業音楽家となり、東京での仕事も受けるようになった頃、幸運にも地元である大阪のナッシュスタジオのアーティスト求人を見つけた。大阪の音楽制作会社は少ないので貴重なチャンスだった。「君は色々作れるんやね。おもろいやん。うちは幅広いからいろいろ作ったらええで」と、やはりバラバラのデモを聴いた梨木良成 (当時ナッシュスタジオ代表) は、場違いなスーツ姿で面接に訪れた若造を励ますように言い、その場で採用してくれた。

後になって知ったのだが、梨木は幾度となく私のことを「ライブラリーミュージックの申し子」と社内で称していたらしい。しかしながら、ナッシュの仕事に取り組み始めた頃は、毎月のように送られてくる「お題」と呼ばれる特殊な制作発注の洗礼を浴びるばかりで、「ライブラリーミュージック」という音楽の領域について考えを巡らせる余裕はなかったはずだ。

このお題とは、様々な音楽を自社制作で取り揃えるために考案された、ナッシュスタジオ独自の制作発注である。それは、トレンドのサウンドの再現を求められがちな、東京の仕事の受注内容とは全く異なるものだった。アイリッシュ、インド、ジングル、キッズ、スポーツ、サイエンス…といった独時の、そして毎回全然違うお題が届けられる。時には馴染みのないワードが含まれていたりする。(「インダストリーって何?」「荘厳ってどんな感じ?」) 受注がある度、期待に応えようと全力で取り組んだ。あらゆる音楽を受け入れる性分から、何通りものアイデアを出し、比較検討し、他を淘汰するものだけを残していく。ナッシュスタジオを訪れてミックスダウンを行う締め切り日の、最後の最後まで足掻いたが、苦にならなかった。制作経験のないジャンルのお題が届くと文字通り腕が鳴った。未知の分野を開拓し、自分の能力も開発されていく確かな実感があり、むしろ気持ちが良かった。

そのようにして自宅環境で制作した楽曲のミックスダウンの日がやってくる。梨木がトラックをチェックする。私は緊張気味に曲を再生する。梨木が椅子に座り直して姿勢を正す時はだいたい何か問題があるときだ。どのようにトラックの方向修正を行えばいいのかを考えているのだろう (他の作家にとっても「どきり」とする仕草であることを後で知った)。 お題の解釈。曲自体の出来。トラックが提示している別の可能性。梨木のサジェスチョンがある。その場でディスカッションしながら完成へ向けて調整を施していく。

当時はエンジニア/レコーディングマネージャーとしてサポートしてくれていた横山美加 (現ナッシュスタジオ代表) からも、DAWの効率的な使い方からミックスのノウハウまで、鍛えてもらった。真剣勝負のスタジオワークで揉まれることにより、音楽家としての地平が広がっていくように感じられた。そして梨木から「ええやん、おもろいやん」という言葉が聞けた時の嬉しさ。一喜一憂しながらも、ナッシュスタジオのお題がどんどん待ち遠しくなっている自分がいた。

そのようにナッシュスタジオの仕事が充実し、やがてルーティンとなる一方、フリーランスの作家として独り立ちする二十代後半に差し掛かると、東京の仕事も多く抱えるようになっていた。作家として興味が惹かれ、意義を感じるのはナッシュスタジオの仕事だったが、当然ながら「音楽をやるなら東京で」という気持ちも強くあった。東京に行ってもナッシュの仕事を続けられるだろうか。いや、東京に行くとすれば、大阪に戻って来れないくらいに忙しくなってやる、という決意で行かなければおかしいのではないか。東京か、ナッシュか。ぎりぎりまで悩み、葛藤し、引き裂かれていた。最後の最後で、大阪から東京の不動産屋に電話を入れ、都内で見つけていたアパートの賃貸をキャンセルした。

当時は言語化が難しかったのだが、答えを出す決め手は、「東京が私のような ”ライブラリー人間” をナッシュのように求めているだろうか?」という自問の中にあったのかもしれない。何よりも、私は作家として、断固としてライブラリー人間であり、そうあり続けたかったのではないだろうか。それがずっと、正直な、嘘偽りのない、自分自身であることを知っていたのではないか。考えてみると、ナッシュ以外のそれまでのいわゆる「受仕事」を通して、依頼内容に対していかに忠実に応えるか、を根本原理として、どこか「普通の音楽」ばかりをつくってきたのではないか。そんなあり方は、商業作家としては標準的であり、むしろ当然のことかもしれないが、自分が知らず知らずに疲弊していたことに、大阪で、ナッシュスタジオで、腰を据えて仕事に取り組み始めてから、ある日気がついた。

そういうことだったのか。「つくる」に自由を感じられる場所だったから、最初から、どういうわけか、居心地がよかったのか。そう気づいた瞬間、まだ見ぬ世界、無限の世界が広がっていくように感じた。自分がいた商業音楽の中心である世界は、音楽の狭い不自由な一側面を表象しているに過ぎない。自分はプロの作家として「中途半端」なのだろう、という呪いのように垂れかかっていた自己懐疑は、もはや取るに足らないものだった。決められない。全部好きだから。中途半端のレッテルはマイナスどころか、強みに変わっていた。自分がこれから邁進しようとしているライブラリーの音楽世界の可能性はもっともっと広く大きい。ライブラリーは「それ」をつくるのか。

この時点で、私はライブラリーの仕事について改めて考え始めるようになっていた。様々な音楽を生み出す能力を買われ、求められ、その仕事に注力できる、という事実だけでも、個人的には十分な気がした。しかし、梨木がライブラリー制作の中に見出している「おもろい」という言葉の意味はそれだけには留まらないことに気づいたのだった。ライブラリーの仕事とは、あらかじめ正解のない仕事であり、自分自身で正解をつくっていく仕事なのだ。業界の注文に上手く答えて、予め設定されたゴールに辿り着くことが全てではない。自分はもっといろんな音楽ができるはずだ。貪欲になっていい。挑戦していい。もっといける、ということだ。つまり、だから、ライブラリーは 「おもろい」のである。もっと「おもろい」を自分なりに作品に込めていくぞ、と決意する一方、これまでもそれを込めてきた、という自負もあった。だからお題というナッシュの特殊な装置が導き出す「ライブラリー作品」でありながら、紛れもなく私自身の作品である、と胸を張って言えるし、言いたいと思うのだ。「ライブラリーミュージックの申し子」という梨木の言葉に、私は感謝と共に同意していた。

私はこれからも根っからの「ライブラリー人間」であり続けるだろう。どんな立場になっても、それが私自身だから。そんな想いでナッシュスタジオの制作部に社員入社した。梨木から横山への代表交代があり、やがて横山を引き継いで制作部長という制作管理業務を行うポジションに着き、自分で楽曲をつくるだけではなく、梨木に代ってミックスダウンにおける作品のチェック、作家への発注も行い、ライブラリー制作を統括する立場になった。梨木とはやり方は違っているかもしれないが、ナッシュで音楽をつくることを通して、ライブラリー制作にある「おもろい」を他のアーティストたちにも知ってもらいたい、という願いを持っている。

 

「おもろいを探す音楽の旅」

いかにお題を通して「おもろい」作品を生み出していくか、は作家に発注する側になってからの大きな課題である。既存のスタイルの音楽 (オーソドックスなサウンドの楽曲) も取り揃える必要があるが、いくつかつくってしまえば、ライブラリーとしては在庫完備となる。ライブラリーとしては作品の幅が狭く小さくなってはいけないのだが、発注で参考等を提示すると、別々の作家から同じような楽曲が不要なまでに納品されてしまうことがあり、スタジオワークで違いやバリエーションが出るように手を入れて調整しながら、考えさせられた。ライブラリーに必要な楽曲のバラエティを生み出すためには、お題の内容を毎回変えるだけでは十分でなく、お題の出し方に工夫が必要なのだ。

そんな時、上司であり師匠である現代表の横山から、例えば「ハロウィン」というお題の設定でも教えられた。オーソドックスな曲をイメージして制作し、結果同じような作品が納品されてしまいやすいお題だ。そこで横山は「ハロウィン」を構成する概念を抽象化し、「ゴシックとは?」「かわいいとは?」「ホラーとは?」 等々、作家自身でイメージを掘り下げてもらえるようにする。各々の感性で「ピンとくる」要素や受け止め方が異なるので、それを作品に注入してもらう。そのようにして、作家が固定概念からなるべく離れてより自由に捉えられるスペースを設けることで、ハロウィン音楽の別々の可能性が、自ずと作家から波打つように広がっていく。この横山によるお題の抽象化は、狭い参照点に縛られない、ナッシュの、ライブラリーの姿勢そのものであり、目から鱗であった。既存の音楽の枠にとどまる事なく、各々の作家の個性や得意分野等から有機的にバリエーションが生み出される仕組み、それがナッシュスタジオのお題に他ならない。作家たちの思いもよらぬ 「おもろい」部分が顔を覗かせる瞬間を見逃さずに作品という形へ導くのが私の仕事であるが、それはお題の設定から始まっていることを、改めて横山から教えられた。

どこまでもライブラリー人間の私は、例えばサウンドアートを志向する「大山音工房」、作家性を追求する「Artists' Labo」、通常のBGMの枠を超える「Edge Tracks」等、より「個性的」で「独自性の高い」作品を提供することを念頭として立ち上げられている Nash Music Library のシリーズ (プロダクトライン) にしても、より幅広い作品のバリエーションを生み出すための装置、つまり広義のお題として捉えている。上記のようなプロダクトラインが提示するコンセプトを縁にしながら、ぎりぎりまで手綱を緩めて自由を与えると、「ここまでいって本当にいいんですか?」「ナッシュの商品として大丈夫なんですか?」等と、むしろ作家側が不安を示したりする。そんな時は、彼らの自由な自己表現自体がライブラリーの幅を広げてくれることを確信しつつ、「もっといける!」とむしろ背中を押している。すると、それまでは角のないトラックをつくっていた作家たちの作品の中に、めきめきと個性が現れるようになったりする。

確かに、どんなに才能ある作家でも、全く何もなく「自由につくれ」と告げられるままにつくれる人はそうそういないのかもしれない。そういう意味では、ライブラリーとは、より自由になってつくるための装置でもあり、お題がアーティストの殻を破っていくのである。

やがて、「おもろい」作品づくりへの道筋として、「音楽はライブラリーでこそ自由になる」という理念を見出し、標榜するようになった。それは、とりも直さず、ライブラリーを通じて、作家自身が自由になることである。実際、ナッシュの仕事をしていると、作家たちはどんどん幅広くなっていく。と言うより、なっていかなければならない。限りなくバリエーションを追求するライブラリーの世界にあっては、作家としての固定化はアンチテーゼであり、そのような傾向がある作家にとっては過酷な仕事になりうる。本当を言えば、常に新しい自分を切りひらいていかなければならないからだ。もっと一緒に仕事をしたい、ライブラリーを担う存在になってもらいたい、という想いから、新しい挑戦の方へ (ひょっとすると必ずしも「行きたい」方向ではないかもしれないので、勢いをつけ過ぎないように気をつけながら) 彼らの背中を押さなければならない時がある。そしてかつての自分のように、ナッシュの仕事を通して新しい自分を発見していく彼らの姿に、自分自身が刺激を受けている。

スタジオワークを通して、一緒に課題や問題点を解決する。彼らの音楽性、人間性、行動原理等から、プロジェクトを立案する。彼ら自身の企画 (これもお題の変形一種である) を採用する。作家同士のコラボレーションの可能性や、個の表現世界や独自性を追求するようなコンセプトアルバムの制作を提案する。そんな風に、日々、一人一人の作家と関わり、向き合っていると、音作品創作工房ナッシュスタジオの「工房アーティスト」たちが織りなす、まだ見ぬ「おもろい」の可能性の景色が見えてくるではないか。

打ち上げでは、皆が思い思いの言葉を交わしている。「あのプレイめちゃくちゃ良かったわ」と称賛する作家。「難しすぎですよ、指ちぎれそうでした」と楽しそうに返すギタリスト。「無茶振りやったよな…で、次はこんなんやけど、弾けそう?」─────そんな彼らの会話を少し遠くから眺めているのが好きだ。ずっと続けばいいのにと思う。

今日もナッシュスタジオでは、梨木に代わり、横山と私が「おもろいやん」とつぶやきながら、時には椅子に座り直して姿勢を正しながら、ライブラリーを担う工房アーティストたちに語りかけている。

近藤 学 (ナッシュスタジオ 取締役制作部長)