<Nashiki's Note 3>

人は原子でできている。
過去に生きたすべての人の原子は今もこの世界に存在している。
未来に生まれるであろうすべての人も今この世界に存在している原子で構成される。
つまり私たち人間は「現象」である。人間だけでなくこの世界のすべてが、いうなればつかの間の現象である。

その現象自体を探求することはできても、その背景にある仕組みや意味は全くわからない。
ほんのわずかな霊感のようなものを通して、時折垣間見たような気がしても、そんなものは大抵錯覚だ。

凡人は、だから、質問する。
何なんでしょう、これは、私は、命は、世界は、……と。
虚空に向かってこの質問を、己が原子を総動員して激震させて発し続ける。
「表現」というのはこのことだ。

「表現」とは間違いなくコミュニケーションのメディアでありながら、コミュニケートする相手がいない、あるいはコミュニケートする対象が想定できない。つまり「表現」とは無条件の自己発振だ。そこいらにあるツールを使って、もしくは時代と環境にギチギチに限定されながらも、しかし一切の目的から離れて、自立して、表現は「表現」されて作品となる。そうして表現者は「表現」しなければならない。作品を創造しなければならない。なぜなら作品にならなければそれは「質問」にならないことを表現者は知っているからだ。

答えは与えられない。
だから作品は、なんと!永久に「質問」のままだ。

梨木良成 (音楽制作顧問)

 

 

Nashiki's Note <4> それぞれの「こころ」は固有の「命」を体現する

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