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壺から溢れだすもの
ダルマブダヤ
01. 容**:8:31
02. 夢現*:11:58
03. 無窮花**:11:15
04. 大地から太陽へ*:9:22
05. イノリ*:9:10
06. 風**:12:30
試聴サンプル
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CD No.: NS-1252 / price:¥2,625. (税別 ¥2,500.)
Amazon Mobile - CD
composed by Hamakawa Hirotoshi* and Yamasaki Teruo**
performed by Dharma Budaya
engineered by Miroru Sakahira/IDEA studio
recorded at NMG studio, Nara
cover photograph by Mukai Katsuji
produced by Yoshinari Nashiki/Nash Studio Inc.
© 2000 Nash Music Publisher Inc., Osaka Japan
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■ダルマブダヤプロフィール
1979年に植野アジア芸術文化振興財団との共同作業として大阪大学音楽研究室を拠点に結成された。
一貫して中部ジャワのスタイルの古典音楽を学び続ける一方、ガムランのための新しい作品の演奏を手がけ、現代ガムランの展開に大きく貢献してきた。国際的な舞台にも参加、1996年にはインドネシア4都市での演奏旅行を成功させている。
近年は、古典音楽の演奏に一層の磨きをかけ、伝統の体現を目指すとともに、オリジナルの創作にも取り組み、演奏活動の新たな展開と充実を目指している。
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■壺から溢れだすもの (作品紹介:1)
ダルマ・ブダヤのCD「壺から溢れだすもの」は、
劇団態変との「壺中一萬年祭」というコラボレーションのためにつくった音楽が元になっている。
私が敬愛する劇団態変は、作・演出・出演の金満里氏を始め出演者がすべて身体障害者というユニークなパフォーマンスグループである。
「壺中一萬年祭」は、「後漢の時代、費長房という人が壷の中で別世界を体験した」という中国の話を下敷きに、
「普通」の世界から切り離された場所である「壺中」とはいかなる世界なのかを問う、
というテーマをもったコラボレーションである。
ここでの「壺中」とは、まずは健常者から区別される存在としての身体障害者の隠喩であろうが、
もっと広く、様々なエスニックグループやサブカルチャーなどをも指していると私は考えている。
ダルマ・ブダヤと劇団態変、日本人によるガムラン演奏グループと身体障害者によるパフォーマンスグループ。
この2つのグループはジャンルも成り立ちもメンバー構成もまったく異なるが、
私は両者が1つの本質的な特徴を共有していると感じている。
それは、どちらもが現在の日本において「普通」の世界である壺の外ではなく、
何らかの意味で壺の中に属しているという特徴である。態変でいえば、
日本において身体障害者であるということ自体が既に一つの壺の中にあることを意味するだろうし、
その壺を出るために自らの身体をさらしつつ表現をおこなうことは、また別の壺を呼び寄せることになるだろう。
一方、ダルマ・ブダヤの場合も、日本に生活しながらインドネシアのガムラン音楽に関わるということは、
私たち自身の意思とは関係なく、壺の中にいることであるとみなされがちである。
壺の中にあるということは、別の言葉でいえばマイノリティであるということであるから、
マジョリティと比べていろいろな意味で制約を受ける。日本でガムラン音楽を演奏するということでいえば、
そもそもガムラン自体が日本社会の中できわめて脆弱な位置づけしか得ていないことが多くの制約あるいは問題を生んでいる。
例えば、子ども時代にガムラン音楽に触れる機会がきわめて少ないため、
西洋音楽と非常に異なるガムラン音楽的な感性(ピッチやリズム感の違いなどはその氷山の一角であるが)
を身につけることが困難であるとか、伝統的なガムラン音楽を学ぶための指導者が日本にはほとんどいないこと、
楽器の入手や調律、修理が現地もしくは現地から人を迎えることでしかおこなえないこと、などなど。
しかし、制約を受けるというのは決してマイナスばかりとは限らない。
「制約のないところに芸術は生まれない」というのは中学時代に古典を教えていただいた恩師の言葉であるが、
実際、まったく何の制約もないところには表現自体、生まれる余地がないだろう。
劇団態変の金満里氏の言葉に「指1本動けば自らと宇宙を表現できる」というのがあるが、
これを私は「指1本しか動かせない者にのみ表現される宇宙もある」というように言い換えたい。
制約が芸術を生むとはそういうことだと思う。同時に、私は、新しい文化は周縁から生まれる、とも信じている。
ある文化の中心地ではその文化が再生産されていくし、深められてもいくだろう。
しかし、新しいものが生まれてくるのは、その文化と異文化とが出会う場所、文化の周縁の地である。
ダルマ・ブダヤの演奏するガムラン音楽は、日本では決してメジャーな音楽というわけではない。
また、私たちはガムランの伝統的文脈からみればまったく周縁としかいえない場所でガムランに取り組んでいる。
しかし、それだからこそ生まれがのがこの「壺から溢れだすもの」というCDである。
伝統的な中部ジャワのガムランのことを「ジャヴァニーズ・ガムラン」と呼ぶが、
ダルマ・ブダヤのこのCDは日本のガムラン「ジャパニーズ・ガムラン」なのである。
■壺から溢れだすもの (作品紹介:2)
ジャワのガムランは、ときに優しくときに激しく響く。
それは、エスニックでありながらインターナショナルである。
それは、聴く者に過去と未来の両方を感じさせる。また、聴く者を自分の内面深くに向かわせると同時に大きく広がる世界へと開示させる。
これらの両面性を、ガムランの青銅の響きは産み出し、そして解きほぐす。
このCDは、ダルマ・ブダヤによる最初のオリジナル作品集であるとともに、
日本最初のジャワのガムランによるオリジナル作品集です。
このCDで、私たちは、伝統的でもなく現代的でもない、ダルマ・ブダヤのガムラン音楽を創り出そうと試みました。
さて、タイトルの「壺から溢れだすもの」は、次のような事実に由来しています。
洋の東西を問わず、壺や瓶、なべといった容器は、そこで様々なものが混ぜ合わされ産み出される場所と考えられています。
私たちは、ダルマ・ブダヤもそうした壺のような場であると感じています。
また、ガムランの中で用いられる多くの楽器が青銅製の打楽器なのですが、更にそれら青銅製打楽器の多くのものが壺のような形をしています。
つまり、ガムラン独特の響きは、それら様々な壺を叩くことによって産み出されているのです。
最後に、このCD中の全曲が、劇団態変とのコラボレーションを通じて創り出されました。
劇団態変は、役者が全て身体障害者であるというユニークなパフォーマンスグループで、
その活動は国内のみならず海外でも高く評価されています。
私たちは、彼らとのコラボレーションに強い刺激を受けたのですが、
そのコラボレーションのタイトルが「壺中一萬年祭」というものでした。
このCDは、こうした様々な壺から溢れだしたものなのです。
山崎晃男(ダルマブダヤ代表・樟陰女子大学助教授)
ダルマブダヤホームページ:http://www.gamelans.org/
■壺から溢れだすもの(曲目解説)
01. 容
鐘のような丸い音、木琴のようにマイルドな音が無邪気にこぼれ落ちていく。癒しを含んだ柔らかい響きは、心地よい「間」を挟みながら、独特のあたたかい音空間を形作る。そのマイルドな混沌はやがて不思議に調和した心地よい空間へと収斂する。
02. 夢現
鐘の音の残響、木琴のような音、穏やかな太鼓が生み出す規則的な波が、シュールな夢のような音宇宙を描きだす。ゆるやかに波打つ夜の水のような音楽が表現する、暗闇と眠りの世界。
03. 無窮花
鉄琴のような金属音と、木琴のようにナチュラルな音が美しく戯れながら、ポリフォニックに響き合う。自然に連なり重なり合う音たちの残響が、咲き乱れる花のようにとめどなく溢れ出し、豊かな情景を映し出していく。
04. 大地から太陽へ
木琴と鉄琴風の柔らかな音が不思議な旋律を奏でる。カラフルな音色を持ったリズミックな作品。シンプルでポップなリズムに乗りながら、多彩なメロディが交錯し合い、無邪気で愛らしい雰囲気を作っている。
05. イノリ
原始的な笛の音が女性の声を想起させる。重みのある太鼓の音、木琴のようなサウンドが聴こえる。さらさらとなる鈴の音、風の音を思わせるパーカッションの繊細な調べが日本的情景を想起させる。アンビエント風の神秘的なアレンジと太鼓の多彩な音色が印象的なフリーリズムの作品。
06. 風
木琴音と鉄琴音が無邪気に織り成す爽快な音楽。多彩なハーモニーは大らかで柔らかな風に乗って歌い、やがて広大な風景を描写する。
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